記憶から完全に喪失していた物が、つい最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。
不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰め込まれ、天袋の奥の段ボール箱に入っていた。
そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として、ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。
八十路過ぎの爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、赤面の至り、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。
こんなメモみたいな詩が、数十年後になって、ブログで他所様に公開される等、当時は想像だに出来なかったことであり、今更ながら感慨深いものがある。
「ブログ内検索」してみると、5年前に、「goo blog」に書き込んでいたことが分かったが、「Hatena Blog」に引っ越した機に、コピペ、リメイクし、改めて、ブログ・カテゴリー「詩・エッセイ」に、書き加えることにした。
若かりし頃の拙い(つたない)赤面詩・その7
「夕焼けのとき」(再)
見つかった茶封筒の中に、レポート用紙に書かれた、「夕焼けのとき」と題した詩(もどき)も入っていた。隅には、「昭和42年11月15日」、「遠州浜にて」と記されており、今から58年も前に書いた詩ということになる。
58年前と言えば、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮で暮らしていた頃であり、薄給、マイカーも、レジャーも、まだ夢だった頃であり、休日には、レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。
赤面するような詩であるが、まさか、数十年後に、ブログで、他人様に公開される等とは、当時は、想像も出来なかったことであり、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまってもいる。
イメージ
(ネットから拝借画像)


「夕焼けのとき」
今黄昏れる
晩秋の憂いを秘めて
金色に映える大海原
影残す砂丘のかなた
潮の香りに誘われて
人知れぬ望郷の思い
美しき天然の変り行く姿は
感傷の旋律
遠く船影一つ
渚に涙する少女一人
悲しく唄うシルエット
やるせない波音に
胸ふたぎ
秋の終わりの、
ひたぶるに
うら悲し
浜辺の暮れる
(昭和42年11月15日、遠州浜にて)
(つづく)