たけじいの残日雑記懐古控

「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」・日記風備忘雑記懐古録

「中学生日記より」その51(再)


中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その51 「手作りうどん」

昭和30年(1955年)8月12日(金)、天気 晴、
起床 5時30分、

1、うどんをひいた。(昼前)
2.農協の演芸を見に行った(学校)

午前中、「うどんをひいた」と書いて有る。当時、各家々では、稲田に不向きな田圃の一画等に、小麦だか大麦だかを作っていて、収穫後製粉、うどん手作りし、食用にしていたが、その作業を、手伝わされたのだろう。実際に、どのような手順、工程で作っていたのか等、全く記憶が無いが、確か、製麺自体は、農協かどこかの製麺機を利用し、出来たうどんを持ち帰り、座敷等に物干し竿を渡して、それに並べ吊るして、何日か干していたような気がする。乾燥後、折れないように下ろし、鋏で適当な長さに切って束にして保管したのだろう。子供の頃のM男は、うどんも、買って食べるものでなく、家で作って食べるものだと、思い込んでいたものだ。
午後か夜かは、書いて無いが、その日、学校の講堂(体育館)で、農協の主催で、なにかの演芸会が有ったようで、それを観に、お盆で農事を休んでいる村民が、ぞろぞろと学校に参集したようで、M男も、父母か祖母かと連れ立って、あるいは、従兄弟で同級生のT男とつるんで、出掛けたのだろう。講堂(体育館)では、御座を敷いて、わいわいがやがや。そんな情景が、思い浮かんでしまう。当時の山村の暮らしには、娯楽は極めて少なく、時々、学校の講堂(体育館)で催される映写会や旅回り演劇団の公演が有った位だったが、そんな時は、近所隣り誘い合って、出掛けたものだった。

手作りうどん干しイメージ
(ネットから拝借画像)