図書館から借りていた、藤沢周平著、「一茶」(文春文庫)を、読み終えた。本書は、親密さと平明、典雅の気取りとは無縁の独自の世界を示した稀代の俳諧師であり、一方では、遺産横領人等という汚名すら残している一茶の、陰影に満ちた生涯を描いた藤沢周平渾身の長編時代小説である。
▢目次
(1)~(15)
(1)~(10)
(1)~(9)
(1)~(12)
「あとがき」 藤沢周平
「解説」 藤田昌司
▢主な登場人物
一茶(弥太郎)、弥五兵衛、さつ、仙六、むく、弥市、徳左ェ門、
菊、さと、石太郎、金三郎、雪、やを、
露光、大川立砂、夏目成美(蔵前札差井筒屋)、
其日庵三世溝口素丸(割下水)、二六庵竹阿、今日庵森田元夢、
其日庵四世加藤野逸、道彦、
平湖(造り酒屋桂屋与右衛門)、二竹、竹葉、
桂国(本陣・中村六左衛門)、観国、
▢感想
子供の頃から、俳人「小林一茶」の名は知っており、彼の2~3の俳句位は思い出せるが、その人物像となると、ほとんど知らないままできた気がする。さらに、藤沢周平氏が、「小林一茶」に特別な思い入れが有って、長編小説にしていたことも知らなかったが、彼の著作をほとんど読んできて、残り少なくなった彼の著作の中に、「一茶」が有ることを知った。長編小説であり、ちょっと躊躇したが、思い切って挑戦、読み終えて、「へー!、そうっだったの」・・・、目から鱗・・・、の部分多しだった。
「解説」によると、「小林一茶」に関しては、不明な部分がかなり有るようで、大部分が、藤沢周平氏が、持ち前の想像力を駆使して、その実像に迫ろうとした作品である。つまり、歴史上の人物の史実に沿った小説というよりも「藤沢周平の描く一茶」ということになるのだろう。
「小林一茶」は、1763年(宝暦13年)に生まれ、名は、「信之(のぶゆき)」、通称、「弥太郎」。信濃国柏原(長野県上水内郡信濃町)の農家小林家の長男に生まれながら、幼児の内に、祖母、生母と死別し、継母にいじめられて育ち、挙げ句、15歳で家を追われ、江戸に奉公に出されたという。そのあたりまでは、明らかなようだが、その後の10数年に関しては、どこで、なにをしていたのか等、全く分かっていないのだそうで、本書の筋書きでは、最初、谷中の書家の家に奉公したものの、腰が落ち着かず、米屋、筆屋等、奉公先を転々とする内、誘われて、当時ご法度だった「三笠付け(宗匠が下の句を出題し参加者に上の句を付けさせる、金を賭ける遊び)」の集まりに出入りし、喰うために賞金稼ぎをするようになったことから、俳諧の世界に入って行ったと言う風に描かれている。
藤沢周平自身、庄内の農村から東京に出て、業界紙の記者として苦労した経歴の持ち主であり、信州の農村から追われて江戸で奉公に出され苦悩する弥太郎の人生に、自分を重ね合わせたのかも知れない。
俳諧師として喰うことを夢想するようになった一茶、しかし現実は厳しく、衣食住にも事欠く暮らしで、旅回りして食いつないだり、理解者、後ろ盾を頼ったり、ずるがしこい世間師の一面をさらけ出しながら、歳を重ね、初老となる。
最大の理解者であり後ろ盾だった夏目成美(蔵前札差井筒屋当主)からも、「最近、貧乏句、百姓の地声が混じって面白い・・」等と、暗に鋭い評を語られるに至って、江戸での俳諧師の夢想が瓦解する。
「露光のように行き倒れはゴメンだ・・・、村へ帰るか・・・」、江戸での暮らしの未練を断ち切り、信州に帰る決断の時がきたが、それを実現するためには、実家の義母さつ、義弟仙六との確執、亡父弥五兵衛の遺言状を巡る骨肉の争いに勝つしかなく・・・、
図々しい性格?を前面に押し立てて、村に帰った一茶・・・・、
「ごくらくじゃ」、そう言った直後、一茶はひどく悪い気分に襲われた。・・・・、
翌朝、食事が済んだあとで、一茶は不意に倒れて意識を失った。そのまま眼を開くことがなく。七ツ半(午後5時)ごろ死んだ。文政十年十一月十九日、六十五だった。雪はまだ降りやまずに柏原の山野を白く包み込んで動いていた。
▢「あとがき」・藤沢周平、 (一部転記)
一茶という俳人は、不思議な魅力を持つひとである。一度一茶の句を読むと、そのなかの何ほどかは、強く心をとらえてきて記憶に残る。しかもある親密な感情といったものと一緒に残る。これはいったいどこから来るのだろうかと考えることがあった。(中略)
われわれは、一茶の中に、難解さや典雅な気取りとは無縁の、つまりわれわれの本音や私生活にごく近似した生活や感情を作品に示した、一人の俳人の姿を発見するのである。(中略)
だがその句が二万句を超えるとなると、やはりただごとではすまないだろう。最晩年に至っても、年に二百、三百も、ひたすら句をつくりつづけた一茶の情熱はどこから来るのだろうか。(中略)
しかも、二万という生涯の句の中に、いまもわれわれの心を打ってやまない秀句が少なからずあるとなれば、なおさらである。(後略)
(一茶記念館ホームページから拝借)