足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その29
筑波嶺の みねより落つる みなの川
こひぞつもりて 淵となりぬる
出典
後撰集(巻十一)
歌番号
13
作者
陽成院
歌意
筑波山の峰から流れ落ちる、みなの川のわずかな水が
集まって、川となり淵を作るように
私の恋心も、だんだんと積もり積もって、
今では、淵のように深いものなってしまいましたよ。
注釈
「筑波嶺のみね」=「嶺」と「峰」、同じ意味の語を重ねたもの。
「筑波山」=茨城県に有る、標高876mの山、
山頂が東西に分かれて2峰有り、「女体山」「男体山」と呼ばれる。
古代から、男女が歌を詠み交わし、求婚し合った
「歌垣(うたがき)」の行事で知られていて、
「万葉集」以来、「歌枕」(歌の中に古来詠み込まれた名所)と
なっていた。
「みなの川」=筑波山が水源地の川、
「男女川・水無川(みなのがわ)」と書かれる。
「淵」=川の深い所、浅い所は、「瀬」と呼ぶ
深い恋心を、川の縁語で、「淵」と表現している。
この歌の詞書(ことばがき)には
「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかはしける」
と有る。
「釣殿」とは、光孝天皇の御所のことで、
「皇女」とは、光孝天皇の長女、
綵子内親王(すいしないしんのう)のこと。
内親王に対する、ほのかな恋心が、
やがて抑えきれない激しい恋心になっていく過程を歌ったもの。
綵子内親王は、後に、陽成院の妃になっている。
陽成院(ようぜいいん)
第56代清和天皇の皇子、
10歳で即位したが、摂政藤原基経との関係がうまくいかず
心の病にかかり、17歳で譲位、
以後、太上天皇(だいじょうてんのう)と呼ばれた。
奇行が多かった人物だったが、
老境に入ってから、文芸上の事績を残している。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)