たけじいの残日雑記懐古控

「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」・日記風備忘雑記懐古録

懐かしい映画と映画音楽・その90


gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと
同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
gooブログ「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」等と、勝手に決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
昨日、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「映画・二十四の瞳・浜辺の歌」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・・。


懐かしい映画と映画音楽・その90
映画「二十四の瞳」と挿入曲「仰げば尊し」「浜辺の歌」等(再)


昭和20年代、30年代、高校卒業まで、北陸の山村で育った人間、確か、中学何年生の頃だったと思うが、「文部省推薦映画」ということで、学校から許可?され、隣り町の映画館に出掛け、松竹映画二十四の瞳を観た見たような気がする。
原作 壷井栄の「二十四の瞳」を、1954年(昭和29年)に、脚色・監督 木下恵介、主役の大石先生役、高峰秀子笠智衆、夏川静江、浦辺粂子等出演で、製作公開された白黒映画だったが、作者の潜在的戦争批判の心まで理解したかどうかは別として、映画自体には、大変感動、未だに、忘れられない日本映画の筆頭になっている気がしている。

昭和初期、瀬戸内海の小豆島の寒村の分教場に赴任した若い大石久子先生と12人の教え子の愛情溢れる物語だが、日本が戦争に突き進んでいた時代、次第に、大人も子供も巻き込まれていく。
岡田磯吉(ソンキ)、竹下竹一、徳田吉次(キッチン)、相沢仁太(にた)、森田正(タンゴ)、川本松江(マッちゃん)、西口ミサ子(ミイさん)、香川マスノ(マアちゃん)、木下富士子、山石早苗、加部小ツル(かべこつる)、片桐コトエ。
貧しさと戦い、懸命に生きる者、病死してしまう者、戦死してしまう者、教壇に立つもの、失明し除隊しあんまとなった者、等々。
特に後半、戦争のむごさ、悲惨さが具現化して、涙を誘われる。
作者は、大上段に反戦を訴えるのではなく、静かに庶民の立場から戦争批判しており、それだけに心打たれてしまう。
物語の最後の場面、歓迎会で、失明している磯吉(ソンキ)が、子供の頃の「一本松の写真」を見ながら、「それでもな、キッチン、この写真だけは見えるんじゃ。ほら 真ん中のこれが先生じゃろ。その前に うらと竹一と仁太が並んどる。・・・・・」と、指で押さえて見せる場面等は、何度見ても涙が込み上げてくる。
戦争を知らない世代、戦争を忘れようとしている政治家が拡大している今、改めて、争が引き起こす 庶民の悲劇を想像したいものだ。
この映画では、仰げば尊しの他に、「村の鍛冶屋」「ふるさと」「汽車は走る」「ちょうちょ」「七つの子」「ひらいたひらいた」「あわて床屋」「春の小川」「浜辺の歌」「若鷲の歌」「朧月夜」「埴生の宿」等々、多くの唱歌・童謡が、ふんだんに挿入されていて、映像と音楽の合体効果大だったように思っている。
その中の数曲、さわりだけになるが、YouTubeから共有させていただいた。

いつ頃、どこで、手に入れたか等、全く記憶にない、
色あせた表紙の文庫本二十四の瞳新潮文庫)が、
未だに、廃棄処分出来ずに書棚の隅に収まっている。
 

映画「二十四の瞳」   (YouTubeから共有)

映画「二十四の瞳」の1シーン、「浜辺の歌」 (YouTubeから共有)