たけじいの残日雑記懐古控

「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」・日記風備忘雑記懐古録

ニワトリ(鶏)と卵 その1

昭和20年代から昭和30年代前半、M男は北陸の山村で幼少期を過ごした。
当時 村落には ちっぽけな雑貨店らしきものが1軒有ったくらいで 食料品店等はなく、ほとんどが農家だったこともあり、基本 自給自足的な暮らしをしていた。
塩鮭、塩鱒、干鱈、するめ等の保存食、乾物類等は 行商人が担いで回ってきていて 玄関先等で買い求めている光景が見られたが、牛肉や鮮魚、刺身等は 隣りの町の商店から調達しなければならず、日常の食材にはなっていなかった。それぞれの家で行われていた冠婚葬祭の宴席や 盆、正月、祭り等 特別な日にしか食べることの出来ない時代だったのだ。
そんな食料事情の当時 村落では、ニワトリ(鶏)を 数羽を飼う家が多かった。
現在のような大規模な鶏卵生産者や流通も無かった時代、3世代、4世代同居、大家族の農家で、ふんだんに卵を食べられる時代ではなく、貴重な栄養源にもなる卵を手に入れる手段として、推進されていたのかも知れない。
M男の家でも ある時期 数羽飼っており その「餌やり」は 専らM男の仕事になっていた。記憶曖昧だが、菜っ葉類を細かく切り刻んだものだったり、田圃で拾い集めてきたタニシ(田螺)を石で潰したものだったり、すべて自然のもの、現在のように買ってくる飼料等は 皆無で、いちいち手間の掛かる仕事だった。
作納屋の横に設えたニワトリ小屋へ 産みたてでまだ温かい卵を取りにいくのも 主にM男の役目だった。卵は 地面にコロンと転がっていて、時に糞にまみれていることもあり、ニワトリ小屋のあの異常な臭いが好きでなく、子供のこと、嫌々やっていたように思う。
集落の中でも 広い敷地を持った大農家では 昼間 敷地内に放し飼いをし 勝手に餌探しさせていたが M男の家は敷地が狭かったこともあり、放し飼いをした記憶がない。が、時々 ニワトリ小屋に出入りする際に逃げ出されてしまい、これを捕まえて小屋に戻すのに大騒ぎになったことは 有ったような気がする。
そんな貴重な食料、卵を産むニワトリではあるが、盆、正月、祭り等で特別な客人が有るような場合、そのもてなし用に食材にされることもあった。さすがに 子供だったM男達には見せなかったが 大人達は ニワトリを「ツブシテ(殺してとは言わなかった)」、羽を毟り、吊り下げ、血を滴り落とした後、料理していた。人間、出来そうなことは なんでもやっていた時代だったように思う。

「藁葺屋根の家とニワトリのいる風景」
相互フォロワー登録しているたなのぶ様の作品
ご本人にご了解いただき拝借、