「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その59 「麦刈りとうどん作り」
昭和30年(1995年)6月19日、日曜日、天気 晴
1、かわら(川原)の北の畑(田)の麦かり(麦刈り)をした。
全く、記憶に無かったことだが、この日、川の近くに有った田んぼの1枚で作っていた麦を刈る手伝いをしたようだ。6月中旬、梅雨の真っ最中、もしかしたら、晴れる日を待ち構えていたのかも知れない。丁度、日曜日で、晴。隣リ町の印刷店・文房具店に勤めていた父親も、休んで、一家総出で、麦刈りをしたのだと思う。もちろん、稲刈り鎌で麦株を刈る作業、丸めて運ぶ作業、全て、人力、汗水垂らす仕事だったが、中学生ともなれば、一人前の人足扱い、手伝うのが当たり前の時代だったのだ。当時、村落の農家のほとんどは、稲作中心だったが、田んぼの一部に麦を植え付け、収穫した麦を、製粉し、「うどん」や「団子」等の材料にしていたような気がする。汽車やバスで、隣リ町に出掛けなければ、蕎麦屋も中華食堂も商店も何も無い村落の暮らし、例えば、「うどん」にしても、外食したり、出前を取ったり、買ってきて食べるということは考えられず、M男等は、「うどん」は、自分の家で作って食べる物と思い込んでいた位だった。
記憶曖昧だが、刈り取った麦は、リヤカーで運び、稲架(はさ)掛けし、乾燥させた後、脱穀、農協の製粉所に持ち込んで製粉、うどん製造機で出来た「生うどん」を持ち帰り、座敷等で、物干し竿に吊るし、何日かで乾燥させ、あとは、包丁だったかハサミだったかで適度の長さに切り揃え、完成・・・という具合だったような気がする。そんな手間暇掛かる「うどん作り」も、その後、次第にやらなくなった気がするが、その頃には、簡便な商品が出回ってきたからなのだろうと思う。たった1行の日記から、当時の情景までが、炙り出てくるから不思議である。